私が農業をはじめるまで 第5回 エコファームアサノでの面談

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(以下は閉鎖された「みんなの挑戦日記」で連載していたものを転記したものです)

2010年9月の暑い日

浅野さん:「今までやってきたIT技術を活かして君はIT農業をすればいいんだ」

私:「当然Webは使っていこうと思ってます・・・。(いや、ここで研修させて欲しいんです)」

浅野さん:「食べるのも農業なんだから別に農業やるのに仕事を辞める必要はないんだ」

私:「確かに食べるのも農業ですけども。。。(仕事辞めないとここに来れないじゃないですか!)」

なかなか研修の話にいかない事態の打開に私の頭はフル稼働していた。

──
2010年9月、エコファームアサノに研修希望の電話をしたところ、とりあえず一度来てみてはというお話をいただいた。9月・・・といえば3連休に毎年照明班で参加しているバンバンバザール主催の音楽イベント「勝手にウッドストック」が相模湖である。相模湖からその足で千葉まで行ってしまえば金沢からの交通費も浮きそうだ。

勝手にウッドストック終了後に相模湖駅前の大衆食堂「かどや」で行われる「かどや打ち上げ」に参加してその日は八王子にでも泊り、妹の住んでいる幕張経由でエコファームアサノに向かうという旅程を立てた。

ちなみにこの「かどや打ち上げ」はイベント運営で疲労困憊、またはその日中の要機材返却などの理由で機材をトラックに積込み直後、先に帰られるバンバンバザールのみなさんを相模湖湖畔の急な坂道で見送ったあと、残ったスタッフやアーティストにより催される主催者のいない変わった打ち上げで、14時くらいから終電まで延々と繰り広げられる稀有な打ち上げだ。主催者のいない打ち上げが開催されるところまでまさに「勝手に」なこのイベント、とても素敵なアーティストがたくさん出るし独特のゆるい空気がとても心地良いのでぜひ一度は参加してみてください。

たっぷりイベントを楽しんだあとのそんな裏のお楽しみでうきうきすべき最終日、だったのだが、起きてからずっと寒気がする。周りはみんな半袖なのだがなぜか私だけどんどん寒くなっていく。イベントを楽しみながらもそのあとに押し寄せる人生の岐路になるだろう面談が気にかかっていたのだろうか。いつもなら「な~にかどやが吹き飛ばして・・・」などとのたまうところだが、さすがに風邪を引いた状態でそんな岐路に立ち向かうのは分が悪い。なによりあの仙人のような風貌。「準備がなっとらん!!」と木刀をふりかざし門前払いをくってしまうかもしれない(注 このときはまだ会ってないのであくまでイメージです)。この日は八王子にとったホテルでおとなしく寝こむことにした。

だいぶかっこいいある日の仙人のような風貌
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すると、かどやを諦めたのが功を奏したのか翌日には回復。約10年ぶりくらいに故郷の千葉へ向かった。途中の東京都江戸川区にある先祖のお墓にこれまた数年ぶりのお墓参りをし、数年ぶりに来たくせに厚かましくもご先祖様にお力添えをねだる。

いや、こう書きながら振り返ってみても必死だったと思う。前回にも書いたようにここしかない!という感触があった。もし浅野さんに受け入れてもらえなければ農業へのキャリアチェンジはできないかもしれない。

10年ぶりくらいに見る故郷四街道市を横目にエコファームアサノのある隣町の八街市へ。八街市というのは落花生で有名なところなのだが千葉にいた頃もほとんどいったことがなくどんなところなのか全くわからなかったのだが、想像以上の畑地帯。どこもかしこも似たような風景なのでナビがない平成9年式のラシーンでは簡単に迷ってしまう。初対面でのまさかの遅刻とでもなればやはり木刀をふりかざされ・・・とかなり焦って運転していたのだが、運良くでかいサンタの置物がある農家が目に入り「あれはなんだ?」と近づいてみるとエコファームアサノという看板がありなんとか辿り着くことができた。

どこから手に入れるのかわからないある日の大きなサンタ
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この日は人生で最も緊張した。自分のライブ、高校時代からの憧れだったインコグニートのドラマーリチャードベイリーとの対面、就職面接、会社での数々のプレゼン、妻の両親との初対面など、緊張すべきときはさまざまあったが、この図太い性格を緊張させるものはあまりなかった。ところがこの日は車を降りたもののなかなか足が前に出ないのだ。遠足気分で一緒に来た妻がルンルンで歩くのを後ろからついていくという情けない構図で中に入っていくと浅野さんとGOENの今村さんがいらっしゃり、テストキッチンと呼ばれるキッチンがある納屋に通された。

一応、面接だと思って履歴書と職務経歴書をお渡しし志望動機などを話そうとしたのだが、書類はいとも簡単にはしっこに置かれてしまい浅野さんのマシンガントークがはじまった。農業、政治、世界情勢、またたくまにいろんなところに話が飛んでいく。そして、この浅野さん、こちらを見る目が尋常ではない。鋭い眼光でこちらをじっと見つめながら話すのだ。これはただごとではない、目をそらしたら負けだとこちらも負けずと応戦する。

正直な話、このとき何を話したのかはあまり覚えていない。というのも、しゃべりながら浅野さんから出てきた冒頭の「今までやってきたIT技術を活かして君はIT農業をすればいいんだ」「食べるのも農業なんだから別に農業やるのに仕事を辞める必要はないんだ」という言葉に、「これは受け入れてもらえないってことか?このままではやばい!」と、どうやったら受け入れてもらえる方向に話を持っていけるか頭をフル稼働して考えていたからである。なにしろ「ここしかない!」という気持ちで来ている。失敗は許されないのだ。しかし、マシンガンな浅野さんからは話の主導権をなかなか奪うことができない。難しい顔をしていた私を横目にウキャウキャと話をしてくれていた遠足気分な嫁にだいぶ助けられた。

10時からはじまった面談もそんなトークをしていたらなかなか研修の話に持っていけないままあっという間に12時に。このままではまずい・・・とリストランテのオーナシェフでもある今村さんが作ってくれたおいしいパスタを難しい顔をしながら食べて、じゃあ畑に行きましょうかと横の畑に歩いて向かう途中、唐突にも浅野さんはぼそりとおっしゃった。

「あ、肝心なことを聞き忘れてたな。いつから来るの?」

えぇ〜!そ、そんなあっさり!?あさのさん!!それ、一番最初に聞くべきでしょう!!
2時間も頭フル回転でどうしたらいいか考えていたんですよ!!

もちろんそんなことをその場で言ったりはしなかったが、一気に私が遠足気分になったのはいうまでもない。

浅野さんの畑はそれはそれは凄まじかった。畑はかぼちゃのつるや食べる花などレストランのシェフたちへの新しい提案にあふれていた。それからは畑で野菜を食べさせてもらいながらとても楽しい野菜トーク。気づけばすっかり夕方になっていた。

どうやら無事に進路は決まったようだ。「昼過ぎには出れると思う」と連絡していたこの日泊めてもらう親友上垣くんに「すまん、今から出ます(夕方5時)」と電話をし、浅野さんがプレゼントしてくれた野菜と私の重大な報告を持って上垣くんの住む静岡県三島市へ向かったのだった。

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