私が農業をはじめるまで 第3回 市民農園の開始

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(以下は閉鎖された「みんなの挑戦日記」で連載していたものを転記したものです)

ある初夏の朝のこと

AM 5:00 
朝日が寝室のカーテンを照らしはじめるころその明るさとともに自然に目を覚ますとまず魔法瓶付きのコーヒーメーカーに4杯分のコーヒーをセットする。歯を磨き顔を洗い服を着替えるとちょうどコーヒーが落ちきるころ。

AM 5:30
コーヒーを1杯飲んで茶色い財布と赤い皮でできたキーケースを持って家を出る。がらがらの国道8号線、白山という真っ白な山から出てくるすばらしい朝日に「おはよう!」と声をかけながら畑に向かって走る。

AM 5:45
畑に到着。近隣の農家さんに挨拶をしながら長靴にはきかえて作業開始。真っ赤に実った完熟トマトをかじりながらトマトの脇芽を欠いたりナスを誘引したり。今日の朝食は・・・と考えているとスティックセニョールがちょうどとりごろ。ポキポキ茎を折って収穫する。

AM 7:00
アラームがなると畑に後ろ髪をひかれながら車に乗り込む。帰り途中にある朝7時開店のパン屋ジョアン本店に立ち寄り今日の朝ごはんと昼ごはんを買う。土の香りと焼きたてパンの香りが車いっぱいに。。。その香りに癒されるとちょうど小中学生の登校支援でそこら中にいる警察官にも笑顔で対応できる。

AM 7:30
パンとスティックセニョールを持って帰宅。採りたてのスティックセニョールを軽く洗うと魔法瓶から残りのコーヒーを取り出して朝食タイム。NHKのニュースを見ながら焼きたてパンと採りたてのスティックセニョールを味わう至福の朝食。

AM 8:15
朝の連続テレビ小説を見たら再び車に乗り込み、すっかり車が多くなった国道8号線を畑とは反対方向の会社へ向かう。

AM 8:45
朝の畑仕事で少し運動をしたからか出社もとてもすがすがしい。パソコンの電源を入れてグーグルリーダーの巡回を終えると、さて、業務開始。

・・・と、こんなロハス雑誌に出てくるような、お前自分に酔ってるだろ!と突っ込みたくなるような生活が続くわけ・・・・・・・・・・あったのだ。

──
レストラン向けにとんでもない野菜をつくる農家、中野さんと知り合って野菜のおもしろさをまた一つ深めた私だったが、このときは「ただの好奇心旺盛なおいしいもの好きが畑に行って全く知らないおいしいものを食べて感動した」に過ぎず、特に畑をやろうと思ったわけではなかった。この頃、ほぼ毎日読んでいるほぼ日刊イトイ新聞で紹介されていた「永田農法」というプランターでもできる(らしい)野菜づくりに挑戦するも、全くおいしい物ができず、植えた野菜がアブラムシだらけになったのもあって野菜を作ることには嫌気がさしていたころだった。

しかし、人好きな私は私の全く知らない世界を持っている中野さんとなんとか親しくなりたかった。だが、中野さんのところにお伺いするにも、始業と終業の時間と休日が一応は決まっている会社員と違って農家さんはいつが暇になるのかよくわからないし、農家は忙しいという先入観もあってなかなか電話できるものでもない。親しくなりたいしいろいろ話を聞きたいのだが気軽に遊びに行くにはまだ関係が浅い、そんな感じで1年経ってしまっていた。

そんな中野さんとの関係を変えるきっかけは新聞広告だった。会社の昼休みに新聞の広告欄に市民農園募集中という金沢市の広告を見つけたのだ。このころ、昼休みは仲のいい同期4人で石川県で昨日あった出来事をもれなくカラーで伝えてくれる「北國新聞」という石川県で最もポピュラーな新聞の広告欄を研究するのが習慣になっていた。最近の新聞の広告欄は高齢化にあわせているようで、「遺書の書き方セミナー」「間違えないお墓の選び方」「あなたももう漏らさない!」「月刊 安心」などといった私達世代では全く関心を持てないがある意味新鮮な広告が並んでいて、高齢者の暮らしを邪推するのに十分な内容でなかなかおもしろい。ケラケラ笑いながら広告欄を見ていると市民農園募集中という広告が目に飛び込んできた。

「おっ」と思って内容を見ると、30㎡で年間使用料が4000円だという。「安い!!」と思うのと同時に「これだ!!」と直感した。市民農園をやることで中野さんのところに行くきっかけができる!と思ったのだ。日々野菜のおもしろさを訴えていた私に同期のみんなも「やりなよ!」とすすめてくれていたが、市民農園をはじめた本当の動機は、おいしい野菜を作りたいというよりも中野さんと親しくなりたいという野菜づくりとは離れた動機だった。

いや、それはだって、農園といえば朝が早いでしょう?いつも帰りが遅くなるソフトウェアエンジニア業で、かつ、小学生のころから深夜のテレビ番組に詳しい夜型を通してきた私が市民農園を続けるなんて無理に決まっていたからだ。週末の休日にちょっと行くのが精一杯。休日だってイベンター仕事がある。とても続けられるとは思えない。しかし、中野さんに電話するには「市民農園をはじめるんですけど教えてくれませんか?」という理由はパーフェクトである。

妻への相談もそこそこにさっそく市民農園に申し込むと案外簡単に割り当てが決定。そして上垣くんに中野さんの電話番号を聞いて意を決して電話をかけた。

「トゥルルル、トゥルルル」

「もしもし?」

「(で、でた!)あの、上垣くんの友人の栗田と申しますが、一度お伺いさせてもらったことがありまして・・・」

「あぁあぁ、どうもこんにちは」

「実は市民農園というのにあたりまして、、、その、あの、、、もしよければ教えていただけないかと思いまして」

「おお、えぇよぅ〜。〇〇日においでよ」

「え、そんなあっさり???」と思うくらい中野さんはあっさりと訪問をゆるしてくれた。緊張して電話したのだが拍子抜けだ。今思えばこの電話での拍子抜けで積極的にいろんなことを聞けるようになったのかもしれない。訪問した日はじっくりと半日くらいかけていろんな作物の育て方を教えてもらい、中野さんが使っている肥料などの資材まで分けていただいた。後日苗も余ったからとトマトやなすの苗も頂いてしまい、、、。

こんな感じで連絡をとるようになると、わからないことは中野さんに聞くというホットラインができ、中野さんの器のデカさも重なって当初の思惑どおりだんだんと親しくなることができた。畑のとなりにある納屋「キャロット」で頻繁に行われる喫茶中野(と称されるシェフやご近所さんとのお茶会)にはしょっちゅう行かせていただいたし、野菜を卸しているレストランでお食事をご一緒させていただいたりと・・・。市民農園を始めたかいは十二分にあった。

これで当初の目的は果たしたはずだったのだが、ひとつ考えもしなかった自分の変化があったのだ。

それは夜型から朝型になるという自分の生活スタイルの変化だ。

朝、畑に行くのが楽しみになっていったのである。トマトが徐々に大きくなっていく、とうもろこしができていく。全く知らなかった成長過程。全く知らなかった朝の風景。そして、全く知らなかった畑でかじったときのあのうまさ。

最初は無理やり朝5時に起きていたのがひと月もすると自然に5時に起きるようになる。もう、畑に行きたくてしょうがなくなる。明日は畑でやりたい事多いから会社は午前休みにしようかなぁ、などと不謹慎なことまでも考えるようになり生活の中心が畑になっていった。

中野さんと親しくなりたいと始めた畑生活は、始めるとすぐに自分の生活に欠かせないものになっていったのだった。

中野さんの愛犬吾郎の視線の先には茹でられたスティックセニョールの山が。野菜に目がない犬がいたのも中野さんちならではですね。
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